2013年12月04日

安楽死

先週、カンガルーマン家庭のパートナーだった柴犬が死んだ。

数か月前まで元気だったのが、急にヘルニアになり歩けなくなった。食欲が失せ、次第にやせ細り最後は獣医が診察している前で息を引き取った。

歩けなくなってから死ぬまで約1月半は愛犬の介護をする毎日だった。

その間、カミさんと議論したのが安楽死させるかどうかだった。

カミさんの意見は、「犬が痛みで苦しんでいるのなら、それを和らげるためにも安楽死させるべき」だった。

自分の場合は、「安楽死させる前に、治癒の可能性があるかどうか、本当に痛みで苦しんでいるのかを見極めたうえで、できうる限りの介護をすべき」だった。

結論は、獣医の意見を聞きながら「痛み止めを処方してもらい安静にしながら、回復を待ちながらできる限り介護し、回復の見込みがなくなり犬が苦しんできたら安楽死させる」ということになった。

介護している間、回復しそうになったり食欲が戻ったり、それからまた歩けなくなったりの一進一退を繰り返しながらだった。

そして先週のある朝、普段ほとんど鳴き声を出さない犬が呻き声に近いうなり声をあげ、全く歩けなくなってしまった。

そろそろ安楽死が近づいてきたと思い獣医に連れて行ったところ、獣医が診察している前で息が止まった。

つまり安楽死をさせなくて済んだのだ!

だが、この「安楽死」という概念は実に厄介だ。

介護している1月半の間、頭から離れることがなかった概念だった。

自分が年をとり、寝たきりでベッドで生かされる状況になったらどうなるのだろう?

と・・・・・、自分をあるいは家族を重ねてしまった1月半だった。

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