批判勢力という存在 は、社会や組織があるところではどこにでもいる。
職場でも、遊びのグループでも、政治の世界でも必ずいる。
上司やリーダーに逆らって、批判してばかりでその存在感を示そうという輩だ。
これまで多くのそういった人種を見てきた。
そして、そういった連中にはある種の共通点があることに気がついた。
それは、出来るだけ自分を責任ある、つまり管理する立場に置かないようにしていることだ。
社員やグループメンバーの不平・不満を代弁するがごとく上司やリーダーに食ってかかる。常に弱者の味方のような顔で正義論をぶってくる。正義論だから誰も反論できない。そしてそこで勝ち誇ったように自分の存在意義を確かめるのだ。
昔、カンガルーマンがある会社の工場責任者として働いていた事がある。その時にやはり暇があると工場運営を批判するグループがいた。
そこでカンガルーマンら運営者側は、社長の許可をもらった上で彼らに権限委譲して工場を任せてみた。
そしたら彼らのとんでもない化けの皮が剥がれてしまった。
彼らは、自分達がどのような失敗を犯そうと他人の批判はおろか意見さえも受け付けないとても狭量で偏屈な心の持ち主が多かった。
結果、工場運営は短期間でグチャグチャになってしまった。
とにかく、他人を批判するのは大好きだが、批判されるのは大嫌いという性質を持った連中だったことを覚えている。
参議院選挙で自民党が負け、民主党が参議院第一党となったそうだ。
民主党はともかく、これまで常に批判勢力だった庶民の味方である旧社会党、社民党、共産党の連中に国政で批判される立場に立って欲しいものだ。
彼らが言うとおりの国作りをしたら、一時的に庶民は喜ぶだろうが、最終的には国が滅んでしまうだろう。
気楽な批判勢力稼業ではなく、実際に国政を担当する気概と度量があるのかはなはだ疑問だ。
そういった意味では、今回の民主党でさえ党員の半分以上は労組出身の気楽な批判勢力稼業を楽しんでいる議員が跋扈しているような気がしてならない。
彼らが衆参両院で多数派を占め、国政を実際に担当するようになったら運営する側の大変さと、ただ批判するだけの気楽さの違いを認識するのだろう。
まあ、カンガルーマンが以前関わった批判するのは大好きだが、されるのは大嫌いと言う人種でない事だけを願うのみだ。