2005年04月26日

埋めがたいのか?日中の心の溝の深さ

 昨夜、ある会合に出席した。そこでは、上海滞在歴7年、中国語堪能という若い女性が講師で中国での反日運動について話をしてくれた。彼女は上海滞在中は現地で広告を制作していたとのことで反中国ではないという印象をうけた。
 話の中で彼女が、中国人の友達に反日活動と今回のデモについてどう思うかを聞いた内容をまとめたレポートを紹介してくれた。全部で10人ほどの友人のコメントがまとめてあった。これらの人々は弁護士、経営コンサルタント、企業家等社会的にもそれなりの地位を持った教育程度の高い人ばかりだ。年齢も30−50代で今回のデモに参加した20歳前後の学生とは異なる人種だ。結論から言うと、コメントした全員が暴力と破壊行為には反対していたが、デモの主旨そのものは肯定するということだ。さらにカンガルーマンが驚いたことは、そのうちの数人は日本に留学生として滞在し多くの日本人と付き合い、しかも滞日中多くの日本人の親切さを体験したと述べていたことだ。それでも今回のデモ行為については肯定するとのコメントだった。
 そこで、カンガルーマンは講師の女性に聞いてみた。「中国語も堪能で、彼らの思考回路もそれなりに理解していると思いますが、あなた自身彼らとつきあってみて彼らの心のどこかに日本あるいは日本人に対する嫌悪感、あるいは何かお腹の底にたまっているものを感じますか?」彼女の答えは「自分は中国も中国人も好きだが、彼らの中に日本人に対するわだかまりを感じる。」とのことだった。
 つまり、カンガルーマンがここで理解したことは、日本人がどう思おうと現在の中国人は過去に受けた被害者としての屈辱を決して忘れないようにしているということだ。こうした気持ちを内蔵している隣人と暮らすのは並大抵のことではないことを改めて肝に銘じた会合だった。
 
日本に対する恨みを持たない中国人をさがすことは無理なのか?
これは一筋縄ではいかない!
 
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