アメリカは破産への道を突き進みながら、どうしてこれほどの軍事費を計上しなければならないのか?
好戦的な軍事国家であるということが前提としてあるのだが、それではどうして軍事国家であらねばならないのか?
そこにはこのブログで語れるような単純な理由を見つけることは出来ないし、歴史、文化、政治、経済、宗教、民族、社会・・・あらゆる要素が絡み合い、結果として現在のような覇権国家の体をなすようになったのだろう。
しかし独立戦争を経て建国以来これまでアメリカが敵とみなし、戦ってきた相手との戦争原因と背景を把握することで、ある程度の輪郭が見えるのではなかろうか?
領土拡張を目的をしたネーティブインディアンとの戦いから始まり、対メキシコ、対スペインを経てアメリカの地理的国家形態が確立、第一次世界大戦では戦後国際社会における経済的優位性を確率、そして第二次世界大戦後はパックスアメリカーナとも形容される政治的・経済面で圧倒的優位性を確立するに至った。
その後、共産主義に対抗するという名目の元に朝鮮戦争、ベトナム戦争を経て、第一次湾岸戦争、そして最近の「テロとの戦い」というアフガン、イラク戦争と続いている。これらの戦争を通じて共通する要素が一つある。それは彼らが標榜するところの所謂「自由と民主主義」という価値観と概念がセットになっていることだ。
最近ではそれに「人権」が加わった。
アメリカは、「自由と民主主義、そして人権を守るため」とかいって自分たちの強大な軍事力を持つことを正当化している。
つまり「自由と民主主義を守る」コストということなのだろう。
が、しかしカンガルーマンの目には、守るのではなく自分たちの価値観を他に押し付けようあるいはチョッカイを出してトラブルになり、結果としてイザコザの原因となったりしているようでしょうがない。
一体誰が「欧米的自由と民主主義」が正しいと決めたのだ?
世界の多くの地域、民族、社会では、これまで数千年いやそれ以上にわたって培われた文化、思想、伝統、習慣、宗教‥がある。
ここで今一度、私達はそうした人類の知恵に基づいた価値観を見直すべきではなかろうか?
アメリカが多大なる軍事費を計上して後生大事に守ろうとしている「アメリカ目線からみた自由と民主主義」という価値観を洗い直す時が近づいている。
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