オーストラリア政府が反捕鯨の立場を鮮明にし始めてから、何かきな臭い様子が出始めている。
オーストラリア政府、日本による調査捕鯨の写真を公開
という見出しが目に付いた。
写真には捕獲された親子らしいと思わせるクジラ2頭が捕獲母船に収容されているところが写っている。そして丁寧にも、記事中にはギャレット環境相が「写真を見て悲しくなったと同時に少し気分が悪くなった」というとても感情的なコメントをつけている。
オーストラリア側が、反捕鯨に対するキャンペーンを繰り広げると同時に日本サイドでは、「じゃー、オーストラリアのカンガルー捕獲はどうなんだ?カンガルーを何百万頭も殺してるじゃないか。そっちのほうがよっぽど残酷だ。これは日本だけを標的にした人種差別だ。」等という反論がネットで出始めている。
カンガルーマンが思うには、日本もオーストラリアも鯨にしろカンガルーにしろ昔のように乱獲を目的にした活動ではないということを前提に話を進めるべきだ。
「鯨が可哀そう、カンガルーが可哀そう」から議論を始めたら、まとまる話もまとまらない。
そんな事を言ったら、牛、豚、鶏、魚ひいては植物まで全て命あるものを資源として活用することは「可哀そう」となってくる。
反対したり批判するためにはまず現状をしっかり把握・分析した後に、それが道理にかなわないのであればまだ理解できる。
カンガルーマンを例にとると、
もし、カンガルー捕獲と商業化が乱獲と金儲けだけを目的とした内容であればカンガルーマンはそれらの活動に反対するだろう。
しかし事実は異なる。これは確信をもって言える。
理由を具体的に述べろと言ったらいくらでも羅列可能だ。
したがってカンガルー捕獲容認派だ。
捕鯨に関しては勉強不足で判断を下せないのだが、カンガルー捕獲と同じように乱獲と金儲けだけが目的でなければ容認する筈。
問題は、上記の記事タイトル、掲載された写真内容、そしてコメントにある。
必要以上に読者の感情を煽っている。
誰だって、親子の鯨が逆さに並んでぶら下がっていれば不快な思いをするだろう。
オーストラリア政府は何を考えているのか?
不毛な反捕鯨・反カンガルー捕獲論争でもしかけようというのか?
どのような状況が起きようとも、カンガルーマンはこれまで通り、サッカー選手にカンガルーの革を使ってもらい、カンガルー肉を食べそして広めるつもりだ。
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俗にいうところのインディーズカテゴリーに入る映画か?
50分の短編映画だったのだが、久々に中身のある映画を観た。
タイトル:「幸福なる食卓」
監督:タテナイケンタ
主演:篠原あさみ
カンガルーマン評点:★★★★☆
概要は以下のリンクでご覧ください。
http://tatenaikenta.com/shokutaku/index.html
お金をかけた、いかにも映画映画したハリウッド版もいいだろうが、こうした低予算でありながらしかし日常生活のある一面や真理をついた映画は面白い。
内容は全く異なるが、映画のタッチは以前観た「ブレアウイッチプロジェクト」の作りを思い出させる。
主演の篠原あさみも演技らしくない自然な振舞いと喋りが話にリアリティを持たせてくれた。
常々、多くの日本映画に見られるあの鼻につく、役者というか俳優というか?彼らの学芸会みたいな演技にヘキヘキしていたカンガルーマンにとっては新鮮な嬉しさだった。
内容は、簡単に言うと30代後半とおぼしき田舎の独身OL女性の内面と日常生活の一面をややマニアックな形とストーリーで綴っている。
カンガルーマン世代にとって、最近の20、30代の男女の価値観の一部を垣間見せてくれた50分だった。
*上映は下北沢のシネマアートンで2月8日まで。
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今回の餃子事件で改めて食の安全について議論が沸いている。
食の安全と言えば、カンガルーマンが子供の頃を思い出す。それは家で飼っていた鶏だ。
当時は農家でなくても、庭先に鶏小屋があって鶏を数匹飼っていたものだ。朝の日課は新聞をとることと、鶏の卵をチェックすることだった。卵があれば、ラッキーとばかり朝は卵ご飯が食べられた。
近所の家もほとんど鶏を飼っていたので、休みの日にはどこかで鶏をつぶしていた。卵を産まなくなった鶏をさばいて食べるためだ。
鶏をつぶすのは、そこのお父さんの役割だ。近所の子供たちが集まってきてお父さんと鶏を囲んでその解体作業を見守る。
すると、お父さんは慣れた手つきで鶏の首を絞め、頭を切り落とす。それから熱湯に屠体を入れる。
すると、子供が「どうしてお湯にいれるの?」と聞く。
お父さんは「そうすると羽が抜けやすくなるんだ」と得意そうに教えてくれる。
羽を抜いて鶏を丸裸にしてから、順々に解体作業が進んでゆくが、そのたびに子供たちから質問が飛んでくる。それでもお父さんは丁寧に「これは砂肝、胃袋、腸、ササミ・・・・とまな板に並べながら教えてくれる。」
お母さんはそうして切り取られた、お肉、内臓、骨などをもとに献立を考える。骨はスープや鶏鍋の出汁、お肉は唐揚や鍋の具、内臓は串焼き等いろいろだ。
したがって、カンガルーマンにとって鶏小屋にいる鶏はある時はペットみたいな存在であり、また卵を提供してくれ、そして最後はお肉になる動物だった。
たった、数十年で私達の食生活は大きく変わった。
スーパーで並んでいるお肉は奇麗に包装パックされた状態で陳列されている。私たちはそれを籠に入れてお金を払えば終了だ。
さらに最近では、今回の餃子を含めた調理済み食品が大きく幅をきかしている。これなどは原料はもちろんのこと、調理プロセス、レシピ、味付け全てが他人の手で処理されており、火を通せばあとは食べるだけといった状況だ。
食の安全性について議論することは結構だが、もう一度原点に戻る必要性があるのではなかろうか?
出所のしっかりした材料を自分の手で調理すればすむことではないのか?
その手間を省きたい(怠けたい)がために調理済み食品に頼ってしまう。そして「食の安全は・・・・」という議論をしている。
自分の家の庭でとれた食材だったら何も心配することはない。
日本人全体が少しでも食材を家庭で自給できる仕組みを作ったら、外国に対する依存度も減るだろうし、また食の安全も確保できる。
カンガルーマンが政治家だったら自宅菜園や鶏小屋プロジェクトに予算をとり、そういった家庭に補助金あるいは奨励金を配布する制度でも作るのだが。
すると食品会社、商社、農家ひいては食糧輸出国あたりから猛反対を食らうか・・・・?
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さすがに昨日の雪の中ではビーチバレーは無理だった。
それでも土曜日は、薄曇りにも関わらず9人集まった。
砂にまみれながらボールを黙々と追いかける。
来ているメンバーは、上手くなりたい、さらに上を目指したいと思って練習に励んでいる。
無駄な動きを省き、素早くボールを拾うにはどうしたらいいか?
無駄な動きを相棒にさせないためにどうしたら正確なボールコントロールができるか?
無駄のない動きで、相手が嫌がる正確な攻撃をどのようにしたらいいか?
というような事を念頭においてみんな練習に励んでいる。
趣味の世界だから何をここまで真剣に・・・・、という考え方もあるだろう。
しかし、真剣にやればやるほど面白くなってくるし、好きになってくる。
そして最後には好きだからこそ、寒くても暑くても風が吹いても練習をしたくなってくる。
人間、生きてゆく上で、「好きで好きでたまらない」という感情を持つことは生活に張りが出てくる。
ひいては仕事や日常生活にポジティブな回路が出来上がってくる。
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今回の餃子事件にはいろいろ考えさせられる。
まず、食中毒にあわれた方達は災難だったとお見舞いの言葉をかけるしかない。販売されている食品の安全性に全幅の信頼をおいて購入し、食べた結果が中毒では笑えない話だ。
しかし、マスコミのハシャギようについては違和感を感じる。
違和感を感じる部分は、現時点において今回の事件をもって全ての中国製食品や食材が危険だというイメージを作りあげている。
今回の事件についてメディアはどこまで真相をつかんでいるのだろうか?現実はこれから真実を解明するということではないのか?日中の専門家が現地工場に立ち入り検査をし、現状をつぶさに検証したうえで原因究明をする手筈になっているはずだ。
何も状況が把握できていない段階で、中国産品全て危険キャンペーンを張っても百害あって一利無しだ。
まるでTVのモーニングショーばりのはしゃぎ方だ。
よく考えてみたらいい。
現在の日本人の食卓は中国産品無しでは成り立って行かないことを・・・。
ここまで中国産品に依存する体質を放置しておきながら、何を今さらといった感じだ。
メディアが検証すべきは:
1.中国産食品・食材に対する日本人の依存度の現状。
2.依存しなければならなくなった背景分析。
3.日本と中国の食品衛生基準比較。
4.現地製造工場の工程内容の検証。
5.今回の事件の徹底的原因究明。
6.そして中国製品の安全性に対する具体的検証。
これらを分析したうえで、安全性に疑問があるのならキャンペーンをはったらいい。
今の騒ぎ方からすると、メディアは中国で反日あるいは日本製品不買運動でも起きて欲しい思っているとしかカンガルーマンの目にはみえない。不買運動でも起きたらそれこそメディアにとっては次の記事ネタが出来るのでまたまた面白おかしくセンセーショナルに書いて騒ぎを大きくすれば世論が沸き立ち、してやったりというところなのだろう。
今回の事件を契機に、日本の食の安全保障を省みて、さらに中国に対する大きな依存度を改めて検証することがメディアの本当の仕事ではなかろうか?
ただただ、世論を喚起して扇動めいた記事を書く事だけが彼らの仕事ではないだろう。
これで本当に日本製品不買運動でも起きたら彼らはその責任をとる覚悟があるのだろうか?
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