カンガルーマンは心身共に規則正しい生活に戻り、それこそ毎日勤勉な生活を続けていたつもりだった。ところが、ある日突然友達のお母さんに「怠け者!」と罵られてしまった。
その当時コロンビア人の友達ヒルベルトといつも一緒に遊んでいた。彼も、英語を勉強するために午前中だけ教室に現れていた。午後とか夜はカンガルーマンのアパートに居座るか、女の子の尻を追いかけていた。遊び仲間だから、当然のごとくカンガルーマンも同じように女の子を追いかけたり、時には明け方まで街をうろついたりしていた。ある日ヒルベルトの家に行った時、お母さんが「あんたみたいな怠け者のせいで、家の息子が定職に就かずに困っている。だからもうこれ以上付き合わないでくれ。」と懇願された。よく考えてみると、一般的な常識からすればカンガルーマンのライフスタイルは怠け者の典型的なパターンだったのだろう。つまり、いい大人が(24歳だったと思う)金を稼ぐ努力をしていないことに我慢できなかったのだろう。カンガルーマン自身は怠けているなんて思ってもいなかったから、「だった。」
怠け者の定義づけは、考え方、環境、時代、価値観等いろいろな要素と見る方向によって変わってくる。現在の日本でも金さえあれば肉体的、精神的に怠けようと思ったらいくらでも怠けられる。市場で提供されるサービス、商品あらゆるものは「いかにお客を怠けさせるか」ということに的を絞っている。提供される側もそれに慣れてしまってさらに楽をさせてもらえるサービスや商品を求めているのが現状だ。何かがおかしい!